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田村明『都市ヨコハマをつくる 実践的まちづくり手法』

 

都市ヨコハマをつくる―実践的まちづくり手法 (中公新書 678)

都市ヨコハマをつくる―実践的まちづくり手法 (中公新書 678)

 

敗戦後の横浜市は荒廃していた。戦災と進駐軍と接収とによってその解除後も関内牧場といわれるほどだった。

自治体の外側からコンサルタントとして提言してきた著者は請われて横浜市に入り、新設の企画調整局で新しいスタッフとともに市が施行する六大事業の推進にあたった。

高速道路の地下化、港北ニュータウン大通公園、港へのプロムナード、大佛記念館、横浜スタジアム、都市デザインなどを市民と協力して進めた手法を記録。

(本から引用)

この本を読むと、横浜っていいよね!と言われる要素の多くが、昭和30~40年の「企画調整局」の奮闘でつくられたものだと分かります。横浜を愛する人におすすめしたい1冊です。

「企画調整局」の功績

著者は請われて横浜市に入庁し、企画調整局長を勤めた田村明さん。企画調整局は1968年(昭和43年)に設立された部署で、計画策定を担う事務職中心の企画部門と、現場で具体的な問題を扱う計画部門をつなぎ、市全体の視点から都市づくりを行います。

主な功績は、1965年1月(昭和40年)に市が発表した「六大事業」を成功させたことです。「六大事業」とは、

  1. 都心部強化事業(みなとみらい21
  2. 金沢地先埋立事業
  3. 港北ニュータウン建設事業
  4. 高速道路網建設事業
  5. 高速道路(地下鉄)建設事業
  6. ベイブリッジ建設事業

の6つ。総合計画のような抽象的なものでもなく、個別のプロジェクトでもなく、相互に関連した6つの事業として打ち出したことにも特徴がありました。

しかも当時、横浜の中心部は米軍接収の影響で荒廃しているし、郊外も虫食い状の乱開発が進んでいる最悪な状況。時間のかけて都市づくりをするには、都市全体の視点で行動できる企画調整局のような役割が欠かせませんでした。

企画調整局の機能が表れている一例が、局内に設置された「総合土地調整課」です。それまで土地利用や開発については、既成の法令を個々の部署がばらばらに適用しており、乱開発が進んでしまいました。そこで総合土地調整課では、

総合的な視点から法規を生かして使い、運用してゆき、法規が不備なときには、持ちいなくてもよいし、問題に合わせて拡張して使ってもよい。既存法規だけでまにあわないときには、新しいルールをつくってゆくこともある。(P.100)

具体的に大きな開発問題や建築許可などの問題についての、総合調整も行う。それに市や開発公社の土地購入や所有地の利用についても、総合調整してゆく。(P.101)

といった形で、市内の土地問題を調整していきました。

山下公園と企画調整局

多くの観光客を集める山下公園も、いまの魅力を取り戻したのは企画調整局の活躍があったからでした。この本の中でも特に好きな事例です。

山下公園に面する海岸通りは、もともと外国人居留地。当時、外国人たちからは「日本でもっとも美しい街路」として賞賛されていました。関東大震災で付近は壊滅してしまいましたが、その瓦礫で埋め立てをしてつくったのがいまの山下公園です。

こうして出来た光景も、第二次世界大戦の戦災と接収によって破壊されてしまいます。また接収後も、周囲には不法占拠の露店が並び、しまいには公園の上に鉄道の高架まで建設され、散々な有様でした。

「横浜の顔」としての山下公園を取り戻すため、企画調整局では、

  1. 特定の個人による占有を避ける
  2. 建築物を3メートル後退させ、歩道を広げる
  3. 公園側の歩道が分断されないよう、自動車の乗り入れはできるだけ裏側に
  4. 歩道に沿った広場を確保

といった方針を打ち出し、ホテルやマンションとの交渉、県と連携した県民ホールの整備などを実施していきます。その結果が、いまの山下公園の様子につながりました。

こうした建築指導は、法規によるものではない。法規で決めてしまえば、機械的運用になり、それ以上よくしようという意図も働かないし、どういう目的の建築物が建つか分からないのに、固定的に定めてしまうと、かえってよい結果がえられない。また、反発が強くて法規では定められなかったろう。

しかし法規にもとづかない方法も強い反発を受ける。そこで個々の建築物が自己主張し、勝手にやるよりも、協働して都市空間を創りだすほうが結果において良くなることをくりかえし説得するよりほかない。それには、総合的な空間を創ることについての、デザイン的手法とその確信がなければ説得できない。ここで実力あるアーバンデザイン・チームが必要になるのである。(P.171)

おわりに

「終章 都市を創り出す人とシステム」で、田村さんはこう語っています。

都市づくりは始まりはあっても終わりはない。長時間をかけ、継続的に行って初めて、その効果も生まれてくる。今日考えて明日できるというものでもない。打ち上げ花火的にいうことはやさしい。それを具体化し、本来の目的にそいながら、さまざまな問題点を解決し、多くの人びとの協働のなかで実行することはきわめてむずかしい。(P.239)

それには、見える都市をつくる以上に見えない都市づくりに関心が向けられるべきであろう。都市づくりへの市民の関心、都市づくりを実行できる人の育成や、システムをつくりあげることである。それは時間がかかるが、そこから「見える都市」としての成果も確実に生まれてくるだろう。

都市づくりはつねに未来のためにある。終わりない夢を描こう。未来はわれわれと、その後に続くものの手で、かならず一歩一歩実現できるのである。(P.241)

この本が書かれてから30年以上が経過したいまでも、山下公園やみなとみらいには人が溢れ、港町ヨコハマとしての魅力を保ち続けています。横浜への誇りが深まる1冊でした。