いわて日記

2017年8月に岩手に転勤しました。岩手で学んだことをまとめます

田村明『都市ヨコハマをつくる 実践的まちづくり手法』

 

都市ヨコハマをつくる―実践的まちづくり手法 (中公新書 678)

都市ヨコハマをつくる―実践的まちづくり手法 (中公新書 678)

 

敗戦後の横浜市は荒廃していた。戦災と進駐軍と接収とによってその解除後も関内牧場といわれるほどだった。

自治体の外側からコンサルタントとして提言してきた著者は請われて横浜市に入り、新設の企画調整局で新しいスタッフとともに市が施行する六大事業の推進にあたった。

高速道路の地下化、港北ニュータウン大通公園、港へのプロムナード、大佛記念館、横浜スタジアム、都市デザインなどを市民と協力して進めた手法を記録。

(本から引用)

この本を読むと、横浜っていいよね!と言われる要素の多くが、昭和30~40年の「企画調整局」の奮闘でつくられたものだと分かります。横浜を愛する人におすすめしたい1冊です。

「企画調整局」の功績

著者は請われて横浜市に入庁し、企画調整局長を勤めた田村明さん。企画調整局は1968年(昭和43年)に設立された部署で、計画策定を担う事務職中心の企画部門と、現場で具体的な問題を扱う計画部門をつなぎ、市全体の視点から都市づくりを行います。

主な功績は、1965年1月(昭和40年)に市が発表した「六大事業」を成功させたことです。「六大事業」とは、

  1. 都心部強化事業(みなとみらい21
  2. 金沢地先埋立事業
  3. 港北ニュータウン建設事業
  4. 高速道路網建設事業
  5. 高速道路(地下鉄)建設事業
  6. ベイブリッジ建設事業

の6つ。総合計画のような抽象的なものでもなく、個別のプロジェクトでもなく、相互に関連した6つの事業として打ち出したことにも特徴がありました。

しかも当時、横浜の中心部は米軍接収の影響で荒廃しているし、郊外も虫食い状の乱開発が進んでいる最悪な状況。時間のかけて都市づくりをするには、都市全体の視点で行動できる企画調整局のような役割が欠かせませんでした。

企画調整局の機能が表れている一例が、局内に設置された「総合土地調整課」です。それまで土地利用や開発については、既成の法令を個々の部署がばらばらに適用しており、乱開発が進んでしまいました。そこで総合土地調整課では、

総合的な視点から法規を生かして使い、運用してゆき、法規が不備なときには、持ちいなくてもよいし、問題に合わせて拡張して使ってもよい。既存法規だけでまにあわないときには、新しいルールをつくってゆくこともある。(P.100)

具体的に大きな開発問題や建築許可などの問題についての、総合調整も行う。それに市や開発公社の土地購入や所有地の利用についても、総合調整してゆく。(P.101)

といった形で、市内の土地問題を調整していきました。

山下公園と企画調整局

多くの観光客を集める山下公園も、いまの魅力を取り戻したのは企画調整局の活躍があったからでした。この本の中でも特に好きな事例です。

山下公園に面する海岸通りは、もともと外国人居留地。当時、外国人たちからは「日本でもっとも美しい街路」として賞賛されていました。関東大震災で付近は壊滅してしまいましたが、その瓦礫で埋め立てをしてつくったのがいまの山下公園です。

こうして出来た光景も、第二次世界大戦の戦災と接収によって破壊されてしまいます。また接収後も、周囲には不法占拠の露店が並び、しまいには公園の上に鉄道の高架まで建設され、散々な有様でした。

「横浜の顔」としての山下公園を取り戻すため、企画調整局では、

  1. 特定の個人による占有を避ける
  2. 建築物を3メートル後退させ、歩道を広げる
  3. 公園側の歩道が分断されないよう、自動車の乗り入れはできるだけ裏側に
  4. 歩道に沿った広場を確保

といった方針を打ち出し、ホテルやマンションとの交渉、県と連携した県民ホールの整備などを実施していきます。その結果が、いまの山下公園の様子につながりました。

こうした建築指導は、法規によるものではない。法規で決めてしまえば、機械的運用になり、それ以上よくしようという意図も働かないし、どういう目的の建築物が建つか分からないのに、固定的に定めてしまうと、かえってよい結果がえられない。また、反発が強くて法規では定められなかったろう。

しかし法規にもとづかない方法も強い反発を受ける。そこで個々の建築物が自己主張し、勝手にやるよりも、協働して都市空間を創りだすほうが結果において良くなることをくりかえし説得するよりほかない。それには、総合的な空間を創ることについての、デザイン的手法とその確信がなければ説得できない。ここで実力あるアーバンデザイン・チームが必要になるのである。(P.171)

おわりに

「終章 都市を創り出す人とシステム」で、田村さんはこう語っています。

都市づくりは始まりはあっても終わりはない。長時間をかけ、継続的に行って初めて、その効果も生まれてくる。今日考えて明日できるというものでもない。打ち上げ花火的にいうことはやさしい。それを具体化し、本来の目的にそいながら、さまざまな問題点を解決し、多くの人びとの協働のなかで実行することはきわめてむずかしい。(P.239)

それには、見える都市をつくる以上に見えない都市づくりに関心が向けられるべきであろう。都市づくりへの市民の関心、都市づくりを実行できる人の育成や、システムをつくりあげることである。それは時間がかかるが、そこから「見える都市」としての成果も確実に生まれてくるだろう。

都市づくりはつねに未来のためにある。終わりない夢を描こう。未来はわれわれと、その後に続くものの手で、かならず一歩一歩実現できるのである。(P.241)

この本が書かれてから30年以上が経過したいまでも、山下公園やみなとみらいには人が溢れ、港町ヨコハマとしての魅力を保ち続けています。横浜への誇りが深まる1冊でした。

「一緒にやりましょう」で進める森ビルの都市開発 | 森ビル常務執行役員河野雄一郎さんご講演

73回地域力おっはークラブにて、森ビル常務執行役員の河野雄一郎さんのお話を伺いました。河野さんは入社後、六本木ヒルズの権利調整・行政協議担当や、秘書室長などを歴任された方です。現在では常務執行役員都市政策企画・秘書・広報担当)を務めていらっしゃいます。

「都市再生と地方創生」をテーマに、超長期の視座でのまちづくりや森ビルの仕事の進め方や、東京と地方の関係性についてお話を伺いました。

森ビルの仕事の進め方

六本木ヒルズだけでなく、アークヒルズ虎ノ門ヒルズラフォーレ原宿ヴィーナスフォート表参道ヒルズなど、数多くのプロジェクトを手掛ける森ビル。開発といえば怖い地上げ屋が出てきて…というイメージがありますが、絶対にそういうことは行いません。

ポイントは「一緒にやりましょう」で進めること。例えば地権者に向けた会報誌も、必ず手渡しするとのこと。直接会うことで、「例えば」「ところで」「あ、それで」と会話が膨らみ、細かな意図まで伝えることができます。一緒に地域の価値を高めていくことに納得してもらって、時間をかけて信頼関係を築いていくそうです。その結果、開発には時間がかかります。六本木ヒルズも、構想から20年近くかかってようやく開業しています。

"東京"が"地方"に期待すること

森ビルが手掛ける開発の多くは東京で行われています。河野さんは、東京の魅力を「圧倒的な集積」「高度な多様性」だと仰っていました。東京のまちは、例えば渋谷から2分電車に乗れば原宿、2分電車に乗れば恵比寿と、近い距離にも関わらずそれぞれがハイレベルな特徴を持っています。

一方で、この人が集まってくる力を、東京だけに留めておく必要はありません。東京で地方のことを知り、地方に足を運ぶような流れをつくりたいと話していらっしゃいました。例えば、東北六魂祭虎ノ門の道路で開催したり、「旅する新虎マーケット」をオープンしたりしています。

そこで地方に必要なのは"らしさ"。いまの地方は、どこにいるのかわからないような、没個性的なところも多くなってしまっています。東京で知った人が、実際に訪れたいと思うような場所にできるか。「写真に撮りたくなる風景がそこにあるか」という言葉が印象的でした。

山田朝夫『流しの公務員の冒険』

 

流しの公務員の冒険 ―霞が関から現場への旅―

流しの公務員の冒険 ―霞が関から現場への旅―

 

友達に勧められて、『流しの公務員の冒険』を読みました。読む前は「またワークショップで住民参加、みたいなありきたりな本なんだろな」と思っていましたが、全くそんなことはなく、端から端まで学ぶことばかりでした。

霞が関を捨てたキャリア官僚は腕一本で町や市を渡り歩く行政の職人「流しの公務員」になった。仕事は問題解決!累積債務を抱え「死人病院」と呼ばれていた市民病院を新築、再建。町を二分したバイパスルート路線問題を全員一致で解決する。仕切る会議はショーのように面白く、議論は白熱。住民も議員も設計士も医師も看護師も巻き込み、事態を変えていく。権威にもトップダウンにも頼らない、新しいリーダーシップ。仕事観が変わる!必読の実践記録!

いまでこそワークショップ的手法は氾濫していますが、著者の山田さんが取り組みを始めたのは1990年代。まだ情報の少ない時代の先駆者だったからこそ、言葉の重みが違うなと思いました。特に自分の役割を「地域実践家」と呼んで、「みなさんにやってもらいながらも、抜け落ちている部分がある。そこを後ろから行って、そっと埋める」と書いている部分が印象に残っています。

また、「いい物語をイメージできるようにする」といった人を巻き込む工夫についても、目から鱗でした。良い意味で官僚的でなく、住民が愛着を持てるような政策を生み出す、という姿勢は勉強になります。

最後に、総務省の官僚でありながら、自治体の現場で働き続けた自分の生き方を「大きくて複雑な問題を解決するには、組織が必要です。組織の中にいながら組織から自由でいられるか?「流しの公務員」はその実験でもあります。」とまとめた著者の山田さん。大きな組織を”利用”しながら挑戦を続ける働き方として、官僚のみならず多くの人にとって刺激になる本だな、と感じました。ぜひ。